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カテゴリ:母として考える( 21 )
怒りなんかとっくに
a0068930_9543353.jpg今日の雨といっしょ。めちゃくちゃブルー・・・。
憤りとか、そういう爆発的な感情を通り越したら、
哀しすぎて少し微笑んでしまいそう。

爪の先ほどしか脳みそがない鳥だって、
孵ったヒナのために、せっせと餌を巣に運ぶ。
大きな鳥にヒナが狙われないように警戒し、
それでも狙われようものなら体当たりでぶつかっていく。

あーあ、人間って何なのだろう。母親って何なのだろう。

産んで、発泡スチロールの箱に入れて、小屋に放置。
赤ちゃんは、生きていたに違いない。しばらくは泣いていたかもしれない。

バイクのヘルメット入れには、赤ちゃんじゃなくてヘルメットを収納してくれ。
「入れてみたら入ったから入れた」って、どういうことなんだろう・・・
考えていることが理解できない、したくもないけど。

へその緒の付いたままの赤ちゃんは、裸のまま・・・
ビニール袋に入れられ、その上から紙袋に入れられ、ゴミ集積場へ捨てられた。
確かに生きていた赤ちゃんは、おそらくは母の手で。

大きな声で泣かなければ、収集トラックの中で押しつぶされて
死んでしまったのだろう。

何にも考えないで、妊娠し、お金がない、お腹がふくれてきた、ひとりで産んで、捨てた。

なんだ?これ。人間って脳みそ無いのか?

文化的な生活をしているはずの人間は、鳥以下か。


もう、違う生き物なのか、人間。

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by matsuura-hatsumi | 2007-05-22 08:23 | 母として考える
保護者のモラル低下
まったく・・・出るのはため息ばかりなり。

授業参観に出かけて、明るい気分で学校を出ることが滅多にないなんて、
なんだか面白くない。
そして、その原因のほとんどが、自分と同じ立場の保護者のモラルの欠落に依るものであるから、まったくもって不愉快な訳なんだ。

子どもが進級して初めての参観日。
担任の先生にも興味があるし、クラス変えをした教室の雰囲気も気になる。
いつものように仕事を抜けて出かけると、始業時間に参観している保護者は私ひとり。
しばらくして、パラパラと増えてくる。

教室の後ろで参観する保護者が、なんであんなにおしゃべりするのか私には理解ができない。
もちろん全員ではない。でも、少数でもいてはならないと思う。
バタバタとスリッパを鳴らし、お辞儀もせずに教室へ入り、私語三昧。
挙げ句の果てには、違うクラスの保護者が入ってきて、そこで先生にお尻を向けておしゃべり。

私は、教室を出た。

先生と子どもに対して恥ずかしかったからだ。

授業を受けている子ども達と、授業を行う先生に対する礼儀は払わなくていいのか。

先生は、さぞかし不愉快だったと思うし、子ども達は授業に集中できなかっただろう。
申し訳ないなあと本当に思った。

私は、別に優等生保護者になりたいわけでもないし、
できることならクラスの保護者の方とは仲良くやっていきたいと心から思っている。
けれど、おかしい。絶対おかしい。

二年ほど前の懇談で勇気を出して、このことを発言したことがある。
学年便りのような手紙で、参観する保護者は私語を慎むようにと促してほしいとたのんだ。
その反応は意外なもので、驚いたことに先生がそれを躊躇したのだ。

授業中、参観している保護者の私語を先生が注意して何が悪いのか、そういう、保護者に対する無意味な遠慮がなぜ必要なのか、理解できない。

先生には毅然とした態度を執っていただきたいし、
保護者には、せめてルールとマナーだけでも守って欲しいものだ。

自戒の意味も込めて。

私がおかしいのかとつい思ってしまうけど・・・

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by matsuura-hatsumi | 2007-04-18 18:35 | 母として考える
教育理念は?
a0068930_17235775.jpg私は、娘の担任教師が家庭訪問に来られた際、必ず「失礼ですが、先生の教育理念を教えていただけますか?」と尋ねる。

小学一年の時の担任の先生は「何からも逃げない。子どもと真正面から向き合うこと」とおっしゃった。
お孫さんもいらっしゃる先生に失礼を承知で勇気を出して尋ねたのだが、私はこの応えがとても嬉しく頼もしかった。そして、娘は「恐い恐いおばちゃん先生」と不満を漏らすこともあったが、私は、全面的にその先生を信頼していた。休憩時間にはベーゴマを回して見せてくれるような先生だった。

「特にありません。」
そう言われたのは、その翌年。私は返す言葉もなかった。
私はそれまで、どんな職業に就いても、そこで自分を活かすべく目標を立てるものだと思っていたので、ビジョンを持たない職業人、まして未知の可能性を持つ小学生が相手の教育者がいるなんて・・・
ただ、打ち拉がれた。

昨日、ちらりと見たテレビ番組で「ダメな教師を作ったのは、もっとダメな親たちだ。」と言っていた。
解らない訳ではないが、本当にそれだけなのか・・・
娘が入学してから一貫して私が守ってきたことは、「先生の言うことは正しい。」そう子どもに言い聞かせること。今の世の中、子どもは自分と同等に先生を扱う。それは、かつては存在した「家庭の中での上下関係」が無くなり、少子化が進んでからは「友達親子」といった関係がスタンダードになってきているからかもしれない。
けれど「先生は絶対正しいし、先生は子どもより偉い。」「先生は友達なんかじゃない。生徒よりずっと上の人。だからいっぱい大事なことを教えてくれる。」これがないと、教える側と学ぶ側のバランスが崩れると私は思っている。
正直なところ娘の話を聞きながら、先生の言動や行動に疑問を抱いたり失望することもあるが、それは私の問題として片づけ、「先生は、もっと先まで考えていて、生徒のために一番いい方法をとっているんだよ。」と言い聞かせる。本当にそうであってほしいと願いながら。

娘は、今年5年生。自分の中にある程度の判断材料を備えているだろう。

担任の先生は、せめて、せめて、教育理念くらい持っていてほしい。

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by matsuura-hatsumi | 2007-04-03 17:24 | 母として考える
ジュエル
a0068930_11195086.jpg私は、よくばりだ。凝り性だし、趣味も多い。
なのにまだまだ、やりたいことや欲しいものがたくさんある。

最近、そのことについて考えた。
どうして何かひとつ、私にはコレしかないと言うものを決めて、それだけに突き進むことが出来ないのか、だからどれもそこそこくらい何じゃないのか、と。
寄り道や迷い道が多いぶん、どれをとっても究めてはいない。

先日、授業参観の時、子ども達が「世界にひとつだけの花」を手話をつけて歌った。
随分長いこと練習したのだろう。皆が誇らしそう歌っていて、すこし大人びて見えた。
私は、子ども達の日ごろの努力や取り組みを思って少し目が潤んだ。

でも実は、私はこの歌があまり好きではない。
というか、安易にとらえて子ども達に歌ってほしくないとすら思っている。
「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」・・・
それは、そうなんだけど。
「頂上からしか見えない景色がある。」と何かで知った。
努力を重ねて登っていく過程の苦労は端から見る者にはとうてい解らない。
けど、そうやって手に入れたナンバーワンの価値は、どれほど貴いものか。
その喜びや達成感、充実感を知ってほしいと私は心から願う。

ナンバーワン以外はダメだなんて、これっぽっちも思っていない。
だから、いろんな可能性を持っている子ども達には、どんなジャンルでも構わないからナンバーワンを目指して努力をしてほしい。
オンリーワンなのは、当たり前のこと。個性は大事に育てていけばいい。
その個性を活かすことの出来る世界を自分自身で見つけだすためにも、努力してほしい。
そのあとで「世界にひとつだけの花」を聴いたなら、きっとこの歌の本当のすばらしさを知ることが出来る。

昔、四国の剣山に登ったことがある。標高1955mだ。
私は途中で何度もあきらめかけ、「もう登れないからここに一人置いていってほしい」と仲間に頼んだ。「みんなで登ろう」と手を引いてもらい、励ましてもらいながら何とか頂上にたどり着いた私は、その、日の出の美しさに声を失い、ただただ自分を照らす太陽に見入っていた。

そこそこの私が知る「頂上からしか見えない景色」とは、これひとつだ。
けど、何となく解る。

経験や努力は、子ども達の宝物だ。
どうかどうか、いっぱいいっぱいがんばってほしい。

そして私たち親は、そんな子どもをちゃんと見てやって、つぶれないように、壊れないように、手をさしのべてやれるような親になる努力をすればいいと、そんな風に思う。

がんばる子どもが好き。

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by matsuura-hatsumi | 2007-03-05 10:46 | 母として考える
高田・向井夫妻の代理母問題について「個人的に」私が思うこと。
代理出産で双子の子供を授かった高田延彦・向井亜紀夫妻が出生届を受理されなかったことで品川区を訴え、東京高裁は品川区に対して出生届を受理するように命じる決定をした。

時期はずれな話題だと思われるかもしれない。
けど、私は判決が出てから今日まで、ずっとこの問題を考えていた。
なんだか、これでよし。と思えない。
胸につっかえたものが私にこの話題を忘れさせずにいた。
結果からいうと、私は、受理すべきではないと考える。
確かに今の医学に法律は追いついていないのかもしれない。
でも現時点では、「分娩した人が母親」である。
まず、代理母といういわゆる「借り腹」をしたこと、その子を実子として届け出たこと、
ふたつもルール違反をしていて、それがまかり通るというならルールは無いに等しい。
彼らは嫡出子として届け出たから不受理になったまでのことだ。
戸籍のないまま子どもが成長し、年齢に達しても義務教育が受けられないようなことが
あってはならないとの配慮ではないかと思うが、それを解決する方法は他にはなかったのか。

この判決後の彼女のコメントなどを聞いていて、ふたつのことに気付いた。

まず、彼女はきっと「養子縁組」という親子関係を認めてはいないのだろう、、ということ。それから、「不妊治療を受けられている方々の明るい光になれば」とコメントしているが、それは勘違いではないか、ということ。

以前、「養子縁組をした親子」がどのようにして「本物の絆」を手に入れるかを知る機会があった。
5才くらいの子どもでも、これから自分の親になってくれる人を本能で試すという。
廊下でお漏らしをし、親の買ってきたヨーグルトのフタを全部開けて一口ずつ食べる。
部屋中を散らかして歩き、母親のおっぱいを求める。生まれてからずっと親の元で育った子どもがする全てのことを、もしかしたら自分の親になってくれるかもしれない大人にやって見せるという、意図的ではなく本能で。
一度親に棄てられた、もしくは親を無くした子どもは、「いなくなる親は要らない。こんなに悪いことをしてもそれでも自分の親になってくれるのか、自分を子どもとして受け入れてくれるのか。」
そう、からだ中で訴えてくる。
親になろうとする大人は、子を持ちたいという大人は、それを受け入れて、赦して、抱き留めて・・・
そうやって血よりも濃いかもしれない親子の絆を作ってゆく。
それでも、その親子らは長い人生の中で「血のつながりのないこと」に幾度となく傷つくだろう。
彼女は、判決後のコメントで「親とは何かという議論がされればと思う」とあったが、その言葉を借りていうなら私は、血縁関係が無くても親にはなれると強く思う。
親が幼い我が子を殺してしまう世の中では、血縁関係があればという考えももう危くなっている。
彼女の場合は、間違いなく自分と夫の遺伝子を受け継いだ子どもである。
そして、たとえ実子として受理されても二人の子ども達は自分の生まれ出でた経緯を知ってしまうだろう。同時に紛れもない二人の実子だと言うことも知ることになる。それならば戸籍上、養子であってもその事情さえ子どもに話せば、そのことはあまり問題にならないような気がする。問題になるとするならばそれは、もっと別の部分ではないか。


不妊治療は、出口が見えないトンネルのようだな、といつも思っていた。
子宮があって卵巣もある。卵子が出てきても妊娠するかどうかは、神様しか知らない。
彼女は妊娠と同時に子宮経ガンが見つかったという。だから多分、不妊治療は受けてはいないのだろう。
子宮を失うということは、私には想像もできないほどの悲しみや苦しみを伴うに違いない。
でも、彼女は知らない。
子宮もあって排卵もあって、それでも子どもが授からずに、毎日毎日治療を続ける人の気持ちは。
妊婦に囲まれて、待合室で雑誌に目を落とし、知り合いに「あら、おめでた?」と訪ねられては微笑んで言葉を濁す。両肩と両お尻の皮膚は注射で紫に変色し、薬を飲んで、朝に体温が下がっていませんようにと眠りにつく。毎月毎月、繰り返す。
私は、3年続けてとうとう逃げ出した。二人目不妊故のつらさもあったが、ひとり授かっているだけでも幸せでありがたいという思いもあった。
世の中には、不妊症で悩む人がたくさんいる。もっと長く続けている人は、もっとつらい思いを繰り返しているに違いない。
その人たちに差す明るい光とは、多分代理母問題ではないと思うのだ。
例えば、市や県は「少子化対策」として、3人目を産んだ世帯にはまるで手柄を立てたように報奨金が贈るが、そんなものさっさと止めてそのお金を不妊治療の助成金として遣うとか。
現在も制度はあるがそのほとんどが2年まで10万円が上限である。これくらいの助成は治療費の前には「焼け石に水」なのだ。早々に逃げ出した私でさえ3年間は治療した。
一回5,000円前後の注射を毎月5本以上打つのに・・・
産んだ者への褒美の方が判りやすくてよいのだろうか。
そういうことを決める場に、女性はいないのだろう。少なくとも私はそう思う。

「高田の遺伝子をこの世に残したい」という向井亜紀の名ゼリフ、
気持ちはよく解るが愛しい人の子供がほしいと思っている人はこの世の中に数え切れないほどいる。
だから、悩み苦しむ。

恵まれた条件の揃った彼らの、フライング気味の行動に、賛同はできない。

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by matsuura-hatsumi | 2006-11-15 18:32 | 母として考える
鬼子母神の柘榴(ざくろ)
a0068930_11202533.jpg今日は、三原で打ち合わせ、用があったので駆け足で実家に立ち寄った。
玄関にザクロが飾ってある。

500人の子を持ちながら、人の子を食らっていた鬼子母神。
お釈迦様に自分の子を隠されて初めて、
子を失った母親の悲しみを知り、
そして自身の罪の深さに気づき、悔いる。

左手に赤子を抱き、右手にザクロを持つ鬼子母神。
ザクロの実の多さになぞらえて子孫繁栄の象徴としている。

ザクロは人の味がする。
お釈迦様は子を食う代わりに鬼子母神にザクロを与えたというが
後から付けた偽りの話だそうだ。

母として子のありがたみを知った鬼子母神が、
人の子の代わりにザクロを食べるはずがない。


子を産院へ産み捨てて消える母、食べ物を与えず死なせる母、
とても「母」とは呼べない、
もはや「人」と呼ばれる資格すら持たされてはいないのではないか。
人の命は尊い。
まして親に頼るしか生きてゆく術を持たない小さな子の命を取りあげる資格など
誰にもない。



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by matsuura-hatsumi | 2006-10-23 11:20 | 母として考える
ふたりの母。
a0068930_17334630.jpg「母さんとママー、早く早くー、先に行くよー」

ん?と言うような顔つきで周囲の人が私たちを見る。
「どっちが生みの親で、どっちが育ての親なんだ?」
そんな感じだろうか。

私の子どもは娘1人。でも3人から「ママ」と呼ばれる。
妹の子どもは2人。でもやっぱり3人から「母さん」と呼ばれる。ちなみに「パパ」と「父さん」もだ。

私が妹の家へ電話したときに、姪が出た。
「かあさーん、ママからでんわー。」
たまたま妹は友人と会っていて、後から「どういうこと?」と詰め寄られたという。
あまり、周囲の混乱を招くような事はしたくないけれど、
こどもが3人できたようで私は嬉しい。

「ママ」と呼ばれてはいるが、分け隔てなく雷を落とし、
いちいち厳しい私はしっかり煙たがられている。

「え〜、ママも来るのかぁ。パパだけでいいのにぃ。」
「そんなことするんならママに言いつけてやる!」

やさしい伯母ちゃんの方がよかったのかもしれない。




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by matsuura-hatsumi | 2006-07-24 20:34 | 母として考える
母が子を殺める
a0068930_1723420.jpg女は、命を懸けて子供を産む。

それは、命がけで出産するという意味では、もちろんない。

新しい命をこの世に生み出した瞬間、
「この命のために自分の命を懸けよう。
命を懸けて守り、叱り、よい人間に育てよう。」
そう覚悟するのだ。

私は最近まで「母性」というものは、女のなかに生まれたときから備わっている核のようなものだと思っていた。
そして、私の認識が大きな間違いであると思わざるを得ない事件が次々に起こっている。

たとえば、秋田の殺人事件。私は母親が犯人でないことをずっと願っていた。
無論、その母親のためなどではない。殺された娘のためだ。
幼い命が人の手によって絶たれることは、誰が犯人であっても許してはならない。けれど、突き落とされる最後の最後まで、まさか母親に殺されるだろうなどとは思わなかった娘が不憫でならない。

泣かされて帰っても、まず無条件に抱きしめてくれるのは母ではなかったか、その後ゆっくり諭してくれたのは母ではなかったか。
すべてを惜しみなく与えてくれ、そして受け入れてくれる存在であるはずの母。

毎日の生活のなかで、子どもに対しての不満もあるはずだ。私だってもちろんある。
イライラを子どもにぶつけてしまい、寝顔を見て反省することなどしょっちゅうだ。
でも、それが自分に与えられた務めだと、ほとんどの母親は知っている。

嘆きにも似た憤りを感じながら、できるだけその感情に目を背けて毎日を送ってきた。
直視すると胸をしめつけられ、だからといって自分には何もできないことを知らされるからだ。私にできることは、私に関わる子ども達が心豊かに暮らすためにできるだけのことをすること。そして、自分の子どもを愛すること。

親に命を奪われるかもしれないと、不安に思う子どもが一人としていてはならない。




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by matsuura-hatsumi | 2006-07-20 17:23 | 母として考える
太郎漬け
a0068930_17151986.jpgこれだけは、どうしても娘と一緒に観たかったので
最終日の日曜を選んだ。

広島市現代美術館

【岡本太郎・誇らかなメッセージ
   「明日の神話」完成への道 展】

エントランス真正面に見えるのは「太陽の塔」
娘はじっと見つめていた。

展示室を入ってすぐには「若い夢」。
私は同じものを「午後の日」と聞いていたので
学芸員の方に訪ねると、大きいものが「若い夢」、
その「若い夢」と同じもので口から水が流れているのが「若い泉」、
そして幾分か小さいものが「午後の日」なのだそうだ。

「見た目は同じだけれど、太郎にとっては別物なんですよ」
と答えてくださった。

メインの「明日の神話」は実はレプリカ。
今、修復のための募金と準備が始まっている。
私もささやかながら参加してみた。

やはり、本物が観てみたいので楽しみだ。

さすがに最終日、予想通り図録は売り切れで残念。
娘は「太陽の塔」のポストカードと一筆箋を希望。

外で記念写真を撮ろうとすると、それをそっと胸に抱いた。


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by matsuura-hatsumi | 2006-05-28 17:14 | 母として考える
みまもり隊
a0068930_9464158.jpg小学校の下校時間になると、通学路付近にたくさんの大人が立ってくれるようになった。
いわゆる「みまもり隊」である。
その大半は児童の祖父母世代の方で、「こどもを犯罪から守りたい」という気持ちで集まったボランティアの方々だ。福山市では、各学区ごとに明るい色のジャンパーを揃えている。

物騒な世の中で、子どもは帰りに寄り道や脱線も出来なくなってしまった。
近所の人が「こんにちは」と声をかけても返事は期待できない。
よく知らない人と話をしてはいけないからだ。

昔の話をしても仕方がないけれど、ランドセルを放り投げて枇杷の木へ登り、実を食べらながら家へ帰ったこと、ジャンケンで負けて五歩下がり、勝って十歩進んで、なかなか家へたどり着けなかったこと。
大人の知らない「基地」があって、そこでしばらく過ごしてから帰ったこと。

防犯ブザーのぶら下がったランドセルは汚れることを知らない。命を守るために、今の子どもたちはそんな経験も出来ないのだ。

そして親の私たちは、「寄り道せず、声をかけられても話をしない」と言い聞かせ、そろいのジャンパーを着た「みまもり隊」を心からありがたいと感謝し、安心して働くことが出来る。


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by matsuura-hatsumi | 2006-04-14 09:45 | 母として考える



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