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カテゴリ:母として考える( 21 )
子どもは親を選べない。
a0068930_1137725.jpg子どもは親を選べない。そう思いながら、児童虐待のニュースをぼんやりと見る。小さな子どもの中には「しつけ」という名の下で、殴られ、縛られ、吊され、水すらも与えられないで短い命を終わらせる者がいる。「まさか」と信じられないような状況で、しかも親の手によって幼い命が奪われる、そんなニュースが後を絶たなくなってからどれくらい経つのだろう。「育児ノイローゼ、孤立した子育てからのストレスが虐待に繋がる」という人もいるが、本当にそうだろうか?そういう人もいるだろう、子育て相談電話や地域ごとの子育てサークルなどで解決しようという試みもあるが、それが解決されたところで多数の虐待事件には何の関係もないことだろう。オレンジリボン(子ども虐待防止のシンボルマークとしてオレンジリボンを広めることで、子ども虐待をなくすことを呼びかける市民運動)を車や自転車にくっつけて表明したところで、虐待を受けている子どもは減らないんじゃないか、そんな風に思いながら。

児童虐待の摘発数は、2011年には6年連続過去最多と警察庁が発表した。実態は間違いなくその数十倍だろう。数百倍かもしれない。死なせる親もいれば、子に稼がせる親もいる。児童ポルノ事件の検挙件数も過去最多だそうだ。残酷な仕打ちに耐えながら、それでも子どもは親の下でしか生きていけないのだ。

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

中学校の授業で暗記した「憲法第25条」、万人が生きる権利をもっているという信念をあらわす生存権保障の盛り込まれた条文だ。私は、幼い子が虐待によって死に至ったニュースを耳にするとき、もう片方の耳にこの条文が流れる。親権を有した親であっても、この人生を自由にもてあそぶ権利など無く、ましてや命を脅かすような危害を加えられるはずもない。

私は、今まで、児童虐待のニュースについて、自分の思うことを書いてきた。

殺人罪 (子が受けた虐待によって死に至った場合の親の罪は・・・)
怒りなんかとっくに
母が子を殺める

結局、暴力をふるう親(親権者)から離すことが一番いいのだと私は思う。罪悪感を持ちながら虐待している親なら子どもと距離を置いて自らを見つめ直すためにも、もちろん、罪の意識など微塵もない親ならひとえに子どもの命を救うためにも。「家」という一番小さな、他者が介入しにくい中にいて虐待を受けている子どもを救うには、そこから出してやることがまずすべきことなのだと。
「血は水より濃い」とか言うけれど、それがどうした、と問いたい。血のつながりのない親子が、血よりも濃い深い深い絆を結ぶことだってある。(高田・向井夫妻の代理母問題について「個人的に」私が思うこと。

他の人が手を貸してくれたら、子どもが自分の尊厳を取り戻す機会を得られるかもしれない、そう思ったことがあった。民法の一部改正だ。親権停止の審判(834条の2)が新設された。条文は下記の通り。

------
(1)父又は母による親権の行使が困難又は不適当であることにより子の利益を害するときは、家庭裁判所は、子、その親族、未成年後見人、未成年後見監督人又は検察官の請求により、その父又は母について、親権停止の審判をすることができる。
(2)家庭裁判所は、親権停止の審判をするときは、その原因が消滅するまでに要すると見込まれる期間、子の心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮して、2年を超えない範囲内で、親権を停止する期間を定める。
------

子どもに対して不利益を与える親は2年の期限付きで親権を停止しますよ、と言うことだ。難しいことは解らないが、たとえば子どもが長期間ネグレクトの状態で栄養失調どころか、生死に関わるほど衰弱していても、玄関先で親権を持つ親が「大丈夫です、子どもをきちんと監護しています。お気遣いは無用です。」と、児童相談所の職員や学校の担任に告げて、面会を拒否してもそれ以上、無理を言って家に押し入り子どもと面会することは出来ない。そういう中で子が死に至った事件をニュースで何度も見た。他に、「しつけ」だと言って親が子どもを折檻する。他人には虐待に見えても親には「しつけで親が叱ることが出来る“懲戒権”」がある。児童保護法によって一時的に子どもを児童養護施設に「避難」させても施設長が持てるのは「監護権(身の回りの世話、教育、躾や身分行為の代理人になる)」のみ。親権を持っている親が子を連れ戻しに来たら・・・。今まで民法には、親権喪失の宣告(現行民法第834条)しか無く、親権があるか無しかの判断は時間もかかる上、効果の強い制度のためか実際にはあまり利用されず生きた法律とはなかなか言い難かったようだ。期限付きの「親権の停止」が施行されることで一時的に児童養護施設の施設長が親権を持つことも出来るそうだ。

息も絶え絶えの、死と隣り合わせで一日を生きている子どもがいることだろう。どうかこの法律が、子どもが痛い思いをしないでもすむよう、希望の持てる毎日を送れるよう、温かくて美味しいご飯を食べられるよう、震える夜のないよう、学校へ行けるよう、将来の夢が語れるよう、役に立って欲しいと願っている。

民法834条の2は、明後日4月1日から施行される。


※お願いがあります。法曹関係の方、また、この記事を読まれて「法の解釈が間違っているのではないか」と思われる方は、どうかご教示ください。正しい知識が欲しいです。また、私個人の考え方・感じ方につきましては、この記事の通りです。
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by matsuura-hatsumi | 2012-03-29 11:27 | 母として考える
本当に大事なことや全く正しいことは…
a0068930_1265334.jpg最近、息子のおかげで子ども向け番組を見る機会が著しく増えてきたわけだけど、つくづく思うン。
「本当に大事なことや全く正しいことは、ここに詰まってるんだな」って。

人を思いやる心、善悪を見分けるチカラ、約束や規律を守る意思の強さ、夢を持ち明日に進む人間力、知恵を養い知識を増やす想像力。それからそれから・・・

人が人として生きていくために必要なものは、子供向け番組を見ればよく判る。

そして、大人目線で番組を覗くと「作り手」の情熱もビンビンと伝わってくるし、挿入歌ひとつとってみても、谷川俊太郎、トータス松本、横山剣、、、みんな子どもの心をグッと掴んで離さない。

だいぶ昔の話だが、知り合いが自己紹介覧に「人生で大事なことはすべて「おでんくん」から教わった」と書いていた。その頃「おでんくん」を見たことがなかったので、よく意味が解らなかったけど、多分こういうことだったんだな、と思い出すのだ。

純粋に、子供向け番組を楽しんでいるうちに、心に着いた澱が洗い流されていく気がしている。
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by matsuura-hatsumi | 2011-04-25 12:06 | 母として考える
殺人罪 (子が受けた虐待によって死に至った場合の親の罪は・・・)
a0068930_1794669.jpg
 もう、何回も書いたけど、、、、書くことで、自分の考えをまとめて外へ出すことで、少しでも自分の「思い」に折り合いをつけなければ、先に進めないので書いている。

 平成17年、“乳児に対して授乳を行わず餓死させる”という事件が起きた。その21歳の母親は、ホストクラブで遊びたい一心で乳児と共にホテルを転々としながらホストクラブに通い、育児がおっくうになり、とうとう授乳も止めてしまった。今の世の中もうそんな話を聞いたところで驚きもしない。ただ、この事件を記したのは、彼女が「殺人罪(量刑は、死刑・無期懲役・5年以上の懲役)」で起訴されているからだ。当然だけど。
判例(大阪地方裁判所 平成17(わ)6550)では、「未必の殺意」が存在するためとなっている。この事件の場合「未必の殺意」であるが、通常「未必の故意」と言われ、「犯罪結果の実現は不確実だが、それが実現されるかもしれないことを表象し、かつ、実現されることを認容している状態」という意味を持つ。
ちなみにこの母親は、21歳で若いから更正の機会がもてるということ、本人が母親から充分な愛情を受けられる環境で育ってなかったということ、前科がないなどの理由から、刑の執行が5年間猶予されている。

 先日、1歳の子どもが養父の虐待により命を落とした。継続的な虐待だ。傷害致死罪で逮捕されている。ニュースによれば、取り調べの中で養父は「このまま虐待を続ければ死ぬことは判っていた。」と話したという。私は思う。「殺人罪」じゃないのか、と。この事件だけではない。幼いとすら言えない乳児を虐待やネグレクトにより死に至らしめた者が、「保護責任者遺棄致死罪(量刑は、三年以上五年以下の懲役)」や「傷害致死罪(量刑は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金)」で裁かれることに対して、純粋に単純に疑問を抱く。「殺人罪」じゃないのか、。子を持つ成人が「この小さな子の命がどうすれば切れるか」あるいは「死ぬかも知れない」でもいいが、判断がつかない訳がない。この場合、「未必の故意」は適用されないのか、殺意が存在するのじゃないかと。されないなら、彼らを「殺人罪」で裁くのに相当な理由は存在しないのだろうか。
「家」という排他的な最小の枠の中にあって、子ども達には何処へも逃げ場がない。
手錠で柱に括られて、餓死した女の子の周りには、親たちが食べた弁当の殻がいくつも散らばっていたという。親に「お水をください。」と哀願した子も死んでしまった。子どもには「家」しかないのだ。そしてその中は伺い知ることも出来ないのが殆どだ。

 「どんな人間にも更正の道は開かれるべきである」そう言うが、当たり前ながら奪われた命は戻ってはこない。ならば、その命の重さ分の罪を贖ったのち更正すべきだ。「人を殺した」という十字架を背負って更正すべきだろう。
以前、刑法の教授が「必ずしも重罰化が事件を減らすとは限らない」とおっしゃった。それは、飲酒運転の処罰の厳罰化として危険運転致死傷罪を新設する刑法改正案が国会で可決されたことで、量刑が最高5年から15年になったのを機に、飲酒運転等を隠蔽するために一旦現場から立ち去るひき逃げ事件が増え、すぐに処置を行えば救われた命を失ってしまうという事件が多発したことからも頷ける。
 でも、でもだ。虐待によって我が子を死なせた親の中には、自分のしたこと対する反省も後悔も、子を亡くした悲しみも終始口にしない人がたくさんいるじゃないか。
養父が我が子に虐待を繰り返すなら、母親はその子を抱いて裸足で外へ飛び出すのかと思っていた。
そうじゃないんだ、今の世の中・・・。哀しすぎる。

 「子どもは、人間になるために 無条件の愛に恵まれなければならない」保育所だよりの欄外に添えてあった佐々木正美氏の言葉だ。
 虐待によって死亡する子どもは、一年間に100人いるという。虐待やネグレクトを継続的に受けていても頑張って生きている子を含めば、その人数は何百倍にもなるだろう。
幼くして命を落とした子は、お釈迦様に見守られながら花畑で遊んでいると聞いたことがある。名前も知らないその子ども達に手を合わせて冥福を祈ろう。せめて天国でお腹いっぱい食べて、何の心配もなく眠り、次に生まれてくるときには、子どもを待ち望み「無条件の愛」を注いでくれる親の元に生まれますように、と。
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by matsuura-hatsumi | 2010-04-20 17:08 | 母として考える
何のために生まれて・・・
a0068930_16454214.jpg♪何のために 生まれて 何をして 生きるのか 答えられないなんて そんなのは 嫌だ♪
娘と二人、アンパンマンの歌を口ずさみ、娘が一言・・・
「深い。」

そんなメロディーに身をまかせ、アンパンマンカーのハンドルを握る息子。

アンパンマンのような勇気を持って生きておくれ。


そうだ嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも

何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱い心燃える だから君は行くんだ 微笑んで
そうだ 嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも
ああアンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

何が君の幸せ 何をして喜ぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ!
忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君は飛ぶんだ どこまでも
そうだ 恐れないでみんなのために 愛と勇気だけが友達さ
ああアンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで
そうだ 嬉しいんだ生きる喜び たとえ どんな敵が相手でも
ああアンパンマン 優しい君は 行け! みんなの夢守るため

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by matsuura-hatsumi | 2008-08-27 16:45 | 母として考える
夾竹桃のうた
a0068930_12471686.jpg自宅の近所に、空を覆うほどの夾竹桃が咲いている公園がある。

そこを通るとき思わず口ずさむ歌がある。
小学校の時に習った「夾竹桃のうた」。
ヒロシマに生まれ育った子ども達は、戦争反対・原爆反対を訴え続ける義務があると、みんなが思っていたように思い出す。
夾竹桃は、私にとって平和の花だ。

小学校の夏休みは、8月5日が登校日だと決まっていた。5日に学校で平和を学び、原爆記念日の8月6日は、自宅のテレビで平和祈念式典を見て、原爆投下時刻の8時15分には犠牲者への黙祷を捧げる。
これが当たり前の過ごし方だった。

今日6日、娘は登校日だが平和学習のためではない。
ゆとり教育で足らなくなった授業分を補う「補充授業」のためである。
ちなみにこの補充授業は夏休みに4日もある。

6日でなくてもいいんじゃないかな、と思ったりする。
というよりも・・・原爆のこと、小学生にちゃんと学校は教えてくれないのかな、と思ったりする。
とてもとても、大事なことだと思うけれど。

「夾竹桃のうた」を助手席の娘は知らない。




『夾竹桃のうた』(作詞:藤本 洋、作曲:大西 進)

  夏に咲く花 夾竹桃 戦争終えた その日から
  母と子供の おもいをこめて 広島の 野にもえている
  空に太陽が 輝くかぎり 告げよう世界に 原爆反対を

  夏に咲く花 夾竹桃 武器をすてた あの日から
  若者たちの 願いにみちて 長崎の丘に もえている
  空に太陽が 輝くかぎり 告げよう世界に 原爆反対を

  夏に咲く花 夾竹桃 祖国の胸に 沖縄を
  日本の夜明け 告げる日を むかえるために もえている
  空に太陽が 輝くかぎり 告げよう平和と 独立を
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by matsuura-hatsumi | 2008-08-06 12:45 | 母として考える
「楽」という木
a0068930_15181323.jpg朝、時間もないのに捜し物。押入の奥で目にした箱を取り出した。これは私の「生涯捨てないもの箱」だ。
高校のときの通信簿、給与明細書数枚、独身時代に夫がくれた手紙、などいろいろなものが入っていて、一度開けると蓋を閉めるまでに随分時間のかかる代物だ。

その中に、母からの手紙が数通ある。
寮生活をしていた学生時代、母が送ってくれる荷物の中に入っていたものだ。いつも慌ただしそうに、広告の裏や端紙に書いてある。

「?印の箱の中身は何でしょうか、友達と分けて食べてください。」

「(例のもの)は、まだ見つかりません。もうしばらく待ってください。」

「昨日チコちゃんがお嫁に行きました。朝早く起きて出立ちを見せてもらいました。きれいで涙がでました。」

「秀君のおばちゃんに、吊し柿をもらったので入れます。少しカビが生えていても食べられます。」

「母の日の電報、ビックリしました。ありがとう。お父ちゃんの時にも来るよと言うと、絶対に来ん。と言っていたので出してあげてください。」

「まーちゃんは昨日から試験が始まりました。みんな悪い点だったのでやり直しがあると言っていました。」

「ジュースばかり飲んではいけません。お茶をわかして飲みなさい。小さいやかんを買いなさい。」

「おばあちゃんが手紙を書いてくれました。すぐ返事を書いてあげてください。」

「赤福をおみやげにもらったから入れておきます。」


今なら解る。初めて家から出て生活をしている私のことをどれほど案じていてくれていたか。

?印の箱に何が入っていたのか思い出すことができないし、(例のもの)が何かが分からない。父の日に電報を打った覚えもない。
しんどくて少ししか入れられないと書いてある1万円で、流行の服を買いに行き、母からの荷物を疎ましいとさえ思った自分が恥ずかしくてたまらない。

今頃解ったのでは遅い。父も祖母も他界してしまった。
どうしてあの頃、もっと思いやりを持って家族に接していなかったのか、数え切れないほど送られてきた荷物の礼を一度でも母に言ったことがあったのだろうか。

まだ二人妹がいて、封建的な父と頑固で厳しい姑がいて、母はあの頃が一番しんどかったのではないかと思う。

「その後どうですか?「楽という木に実はならん」とおじいちゃんがよく言っていました。お母ちゃんもしんどいですが、一緒に頑張りましょう。」

どんな泣き言を母に言ったかも覚えてはいないが、この言葉は今の私の身にも滲みる。

気付くと目が真っ赤、出勤時刻も過ぎていた。あわてて化粧を直し、車へ飛び込む。
結局、捜し物は見つからなかったが、よい思いをした。
あの頃のありがとうの代わりに、母には優しくしないといけない。
そして、少々のしんどい思いは、がんばって乗り越えなければならない。


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by matsuura-hatsumi | 2008-05-14 15:21 | 母として考える
お母さんと赤ちゃんのために。
*** 書き損じハガキ、未使用切手でささやかな支援ができます。 ***

こんな言葉が目に留まった。こう、続いている。

Q> 書き損じハガキ一枚で何ができますか?

A> ネパールで安全なお産を行うための「安全分娩キット」一個を買うことができます。


私は妊娠19週で入院した。戌の日に巻く腹帯もまだしていなかった。
入院していたのは個人の産婦人科だったが、早産の可能性も高く、NICU(新生児集中治療室)のある大きな病院へ転院した。1000gに満たない超出生体重児でも母胎と同じような環境の保育器で過ごし、助けることができると聞いた。
お腹の赤ちゃんは、まだ700gだった。
助産師さんに「1000gまでもう少し。」「1200gまで」と励まされながら過ごした。
結局私は、出産まで病院で過ごした。その間、寝たきりのときでも、体を拭いてもらい、洗面用具を運んでもらい、食事をベッドまで届けてもらった。
おかげで子どもは予定日近くまでお腹にいてくれて、3444gで生まれてくれた。
私は恵まれている。


書き損じハガキは5円の手数料で新品のハガキと交換できる。
ということは、ネパールの妊婦に必要な「安全分娩キット」は高くても45円ということになる。こういう支援が行われるということは、充分な設備や道具が無くて、出産時に命を落とす女性や赤ちゃんがたくさんいるのだろう。
書き損じハガキがネパールのお母さんの「安心」や「安全」に変わることに現実の厳しさを感じる。
つい昨日、半袖から出る無数の点滴痕を格好悪いと思った自分を恥じた。

使っていない年賀ハガキが確かあったはず、
宛名を間違えてそのままのハガキがあったはず・・・
まずは、引き出しの中を探すことから始めることにする。



----------
ミクシィで、友人の日記に転記してあるのを見ました。私もそのまま転記します。

書き損じハガキ、未使用切手でささやかな支援ができます。

送り先:〒167-0041 杉並区善福寺2-17-5 チャイルド・ファンド・ジャパン 
 
チャイルド・ファンド・ジャパンについて  http://www.childfund.or.jp/

たまたま新聞で書き損じハガキの募集をしていたので送ったところ、案内が送付されてきたので紹介します。フィリピンやネパールの家族や地域の自立に向けた支援をしている団体のようです。
ボランティア団体を装った詐欺まがいの団体も存在するのが実情なので、ご自分で内容を確認して判断されてください。
なお、団体の理事長は青山学院院長 深町正信氏です。


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by matsuura-hatsumi | 2008-05-07 11:01 | 母として考える
子守唄の独創性。
a0068930_11492653.jpg息子を寝かしつけるのに子守唄を歌っていると
娘がひとこと、「ダサ。」と言った。

思えば、よその家の子守唄は聴いたことがないなぁ。

そんなことを考えながら妹に尋ねてみた。
「ねぇ、お宅の子守唄どんな歌?」
「ええっとね〜」
妹は歌い始めたが、さすがは同じ親に生まれている、同じ歌だ。

「うーちの○○ちゃんは、やれ可愛い♪やれやれ〜かわいーい、やれ可愛い〜
○○ちゃんは良い子じゃぁ〜♪ねんねんせえ〜ねんねんよ♪
○○ちゃんは良い子じゃ、ねんねんせぇ〜」

これが延々と続く。

歌中の「やれ」とは、「あぁ」とか「ホントに」とか、そんな意味で、
本当に疲れたときには「やれ、しんど。」
本当に面白いときには「やれ、おかしや。」
そういう風に使う。

なので、上の子守唄を訳すと

「我が家の○○ちゃんは本当に可愛いなぁ、あぁ可愛いなぁ 可愛いなぁ
○○ちゃんはお利口だ。だから眠ってちょうだいね、ねんころり。
○○ちゃんは、いい子だね。眠ってちょうだいね〜」

そんな唄だ。

私も妹も、誰から教わったわけでもない。
きっと、母の歌声が脳内に擦り込まれていたのだろう。
懐かしく、気恥ずかしく、そして嬉しい。

どんなにヘンテコな子守唄であっても、
私も子ども達と同じように、母に抱かれて眠ったという証だ。

いずれ、末妹が母になったとき、尋ねてみよう。

「ねぇ、お宅の子守唄どんな歌?」


子守唄、歌う幸せを感じます。

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by matsuura-hatsumi | 2008-02-28 11:49 | 母として考える
妊婦、救急受け入れ拒否
先日の奈良県に続き、千葉県でも陣痛の始まった妊婦が救急車を呼び、受け入れ先の病院を探すため、数時間を費やすというニュースが報道された。奈良県の方は死産という結果だ。

ニュースを知った当初は驚いた。救急なのに病院が受け入れてくれないなんて、と。ワイドショー等でも受け入れの体制を云々…とやっていた。
しかし、よく知ってみるとその他の事情も見えてきた。奈良県の妊娠7ヶ月の女性も千葉県の41週(予定日を過ぎている)の女性も、なんと妊娠で病院にかかっていないのだ。
なんとなく、合点がいく。出産には、二人分の命がかかっており、何の情報も持たない患者を受け入れにくい事情もあるのだろう。
通常、陣痛で救急車は呼ばない。タクシーか家族に送られて、かかりつけの産院へいき出産する。
それまでの診察で母子の状態を把握している医師が出産に立ち会うので安心だ。
彼女らが救急車を呼んだのは、どこの病院に行けばよいか判らない、穿った見方をするなら、救急車を呼べばどこかの病院へ連れて行ってくれるだろう、と思っていたのではないか。
失礼ながら、私にはそうとしか思えない。

お腹に宿った命を「産む」と決めたのなら、母となる人には最善を尽くしてほしい。
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by matsuura-hatsumi | 2007-09-12 10:25 | 母として考える
佳作
a0068930_11355064.jpg

娘の、小品。

かれこれ30年も前になるが、私が娘の年頃には、学校から帰ってからの時間は、特にこれといってすることが無かった。
今のように学習塾へ通う子もいなければ、DSとかSPなどというゲームもない。
友達の家とも随分と距離があったため、下校後は専ら部屋か庭で二人の妹たちと遊んだ。
母が仕事から帰って来るまでに、洗濯物を取り込み畳んだら、お米をといで炊く。

こうして思い出してみると、時間に追われることの多い今の子どもが少し気の毒になってくる。
家庭科の授業で縫い針に糸を通したのが初めてだという子どもたちが大半だとしても仕方ないのが現状だろう。

経済的な理由もあっただろうが、ものごころが付いた頃から、器用な母の可愛らしいアップリケや刺繍が施された手作り品の中で育ってきた私は、今にして思えば、恵まれた環境だったのか、あるいは遺伝(?)か、小学2年生の時には学校へ持参する雑巾は自分で縫っていた。

娘の作品を見た時に、多少困惑したが、教えるどころか作る姿さえ満足に見せていないというのに、よくがんばったなぁという感慨に胸を満たされた。
聞けば、みんなが1つ作る間に4つも作り、多いので2つ持ち帰ったと言う。

「やってみたい」という気持ちは、何もないところからは生まれてこない。
母の姿を見て覚えた私のように、私もまた娘に習ってもらえる母でなくては…ならない。
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by matsuura-hatsumi | 2007-07-23 11:35 | 母として考える



(有)松浦デザイン事務所広島県福山市曙町5-4-29
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