Top
カテゴリ:こう思っています( 31 )
読書年間! ( 父のたくらみ)
a0068930_1424320.jpg昨年は、本を読むことをあきらめた一年だった。のめり込み体質の私は本の内容に、めっちゃ影響受けるし、もちろん感情移入もする。そんなことになったらさあ大変、いっぺんに使い物にならないオバサンが仕上がるのだ。
とにかく、心に余裕がなければ本は読めない。時間なら何とかなる。夜なべして読み通すことなど屁でもないのだ。

基本、本は小説のみ。ハウツー本は、だいたい挫折するか途中で腹を立ててやめる(笑)。雑誌も読後の空しさが耐えられない。私自身の胸の中、整理整頓して読書スペースを確保した。
きっかけは、年末の掃除で発掘した新聞の切り抜きだ。地方紙中国新聞の随筆欄に掲載された記事の切り抜き。およそ15年前。

読書は、父が私の中にキッチリ遺してくれた大切なライフワーク。復活せんと申し訳ない。


-------

父のたくらみ

 本を読むのが好きだ。未知の場所の様子を知り得たり、今のとは別の幾つもの人生を歩んだ気にすらさせられる。本を読むことで改めて言葉というものの奥の深さを知ったように思う。「本好きに生まれてよかった」と、これまで何度思ったかしれない。
 ある日、思いがけないことを父から聞いた。初めてのお産で実家へ帰ったときだった。父は女の子なら本好きがよいと、生まれたばかりの私のかたわらで本を読みふけり、私に本を読む姿を見せるために空き時間のすべてを費やしたというのだ。
 やがて、私は母に読み聞かせをねだるようになり、それは夜中まで続き、母の方が先に眠ってしまうこともしばしばあったそうだ。
 ショックだった。私の本好きは生まれ持ってきたものではなかったなんて。私は父の思惑通りになったのだ。してやられた、という感じだ。けれどもなぜか、うれしい。感謝こそすれ、腹など立つはずがない。読書という趣味に何度も助けてもらったのだから。
 私も父のように生まれたばかりの娘のそばで一生懸命に本を読んだ。ある時は並んで横になり、ある時は膝の上に乗せながら・・・。それは娘と初めて分け合った時間で、私自身、満ち足りて忘れがたい。
 今、一歳にも満たない小さな娘は上手にページをめくる。分かっているかどうか。そんな姿に、私はこう語りかけるのだ。
「本が好きな子に生まれてよかったね」
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2012-01-13 13:14 | こう思っています
書けない理由
なにも、誰からも書くことを強いられているわけではなく、書くことを生業にしてもいない。
それでも私は「書くこと」が好きで、「書きたい」のに「書けない」ことに苦しんでいる。

私は10年くらい前に、こんな文章を書いたことがある。

---------------

私の中の「書く私」。

 書く、と言う行為がとても好きだ。気が付いたら書いていた。
本を読むのも好きだ。読んで読んで書いて、書いて書いて読んで。そうやって過ごしてきたような気がする。そして何より、書いている自分が好きだった。
私の中にその行為を疑うもう一人の私が現れたのは今から半年ほど前のことだ。
もう一人の私は耳元でささやきかける。
「想像の世界に一人身を置いて、物語などを創るということは、今現在の自分から逃げているのではないか」
「過去を振り返って思い出を書いたりすることに意味があるのか。それは後ろ向きな生き方ではないのか」
その声に迷い惑わされ、しばらくの間ペンを執ることができなかった。
同時に書かなくても今までと変わらず一日が過ぎていくことを何とも思わない自分に少々驚いていた。
 そんなある日、五歳になる娘のちょっとした変化に気づいた。
自分の自由になる時間のすべてをお絵かきに費やすようになったのだ。
時には車での移動中や配膳を待つわずかな時間さえも紙とペンを離さないこともあった。
それは手紙であったり絵であったりただ数字を並べたものであったりしたが、とにかく彼女は常に書いていた。
その一途に無心に紙へと向かう娘の姿に彼女の中の「書く私」を見た様な気がした。
そしてその小さな背中は、私に「なぜ書くのか」を思い出させてくれた。
 私はまた、書き始めた。けれどそれは誰かに読んでもらうためとか褒めてもらうためでなく、ましてや残すためのものでもない。
今、「書く」という作業を私が行うため だけに書き始めたのだ。娘のように。
 この年齢になって、自分の好きなことに向き合い、それを大切に育むことができるのを素直に嬉しいと感じている。
妻である私、母である私、嫁である私、そして書く私。
どれも本当の私ではあるけれど、「書く私」の中には私自身も知らない私が棲んでいるような気がしてならない。
それがどんな私なのか逢ってみたくて、私は書いているのかもしれない。

-------------

10年前にそう思ったはずだ。今でもその気持ちに変わりはない。
思えば、特にブログを始めてからは、「書くこと」で自分を整えながら前に進んできたようだ。大げさに言えば、ひとつひとつの出来事を「書くこと」で消化して、次の朝が来ていたような気がする。

7月ごろからだろうか、私の周りでは次々に出来事が起こり、うまく考えをまとめることができなくなってしまった。挙げればきりがないが、放射能の問題・原爆投下の日・子どもの虐待死事件・第3号被保険者救済措置の件・反韓流デモ・教育問題・後輩の死・45歳の誕生日・・・
いつの間にか私の頭には、500円玉大のハゲが出来上がっていて、しかもどんどん大きくなっていく。生活は空回りが多く、失敗続き・・・

自分に自信なんかハナからないけど、それでもずいぶん凹んでしまった。
せっかく、せっかく縁あって結婚したのに、家族を持ったのに、せっかく仕事を持ったのに、せっかくブログで書けるのに、私より忙しい人はいーっぱいいるのに、自分らしく生きなくてどうするん?私。いらんもん捨てよう、大事なもんをめいっぱい慈しもう。ていねいに生きよう。優しい人になろう。

そんな風に励ましながら、なんとか数ヶ月。
今ではカワイイとさえ思う直径4センチの私のハゲも、ヒヨコを思わせる産毛が生えてきて子どもらに人差し指で撫でられている。

私が書いても書かんでも、世の中いっっこも変わらんけど、私はやっぱり書いてみたい。

とりあえず、コーヒー飲んで休憩。
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2011-10-31 15:16 | こう思っています
東日本、大震災。
a0068930_1119265.jpg
母の実家は海のそば。そして護岸工事のために立ち退いて、今はない。
高台に建て替えて、伯父の息子家族が住んでいる。
瀬戸内海は穏やかで、とくにココは静かな入り江。
昔々は大きな船が沖に碇を下ろして、小船でこの入り江から上がってきたと聞いている。食料や石炭の買い足しに、久しぶりの陸での酒、、、船乗りが潮待ちの間に滞在する小さな町だ。
私の実家は山のそばだけど(それも今はないが・・・「私が、八ツ場ダム一連の騒動に思った、たったひとつのこと。」
母が実家の隣で小さな用品店を開いていたので、学校からの帰りはもっぱらこっちへ。
ふるさとと言えばここの入り江が浮かんでくる。

いつもは静かなこの入り江も一年に一度か二度、恐い海に変わる。台風がやってくるとき、おおかた海は大潮で一晩中荒れるのだ。近所は皆、床上浸水覚悟で畳を上げにかかる。台所の冷蔵庫や仏壇ははブロックで足を上げる。何十年もこんなことを続けながら、その土地でやっぱり生きている。今はお年寄りの多いこの界隈、平均年齢は軽く70歳を超えるだろう。

数年前から、この大潮対策で護岸工事が始まった。おそらく、この穏やかな入り江は変わることなくさざ波を紡ぐだろう、そして大潮の時だってこの防波堤が町民を守ってくれるだろう。

けど、3月11日に起こった大きな大きな悲しみを、私たちはこれからずっと忘れずに生きていかなくてはいけない。それは人として。
親を亡くした子どもたちや、家をなくした人たちや、愛するもの皆を海に盗られた人たちのことを忘れずに生きていかなくてはいけない。

そして、今だけでなく、長いスパンで支援活動を
「祈るだけ」ではなく、パンが買えるお金を
「自分たちの生活を見直す」だけでなく、温かい毛布を

被災者に届けることが、義務だと、感じている。
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2011-03-22 11:21 | こう思っています
しばらくの間
最新の記事が↓↓↓↓↓コケた話で気になりますが、

しばらくの間、ブログをお休みします。

また、すぐ、戻ってきま〜す。
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2010-06-22 10:50 | こう思っています
人生は、続いて行く。
a0068930_12381819.jpg「女の友情は浅い」「女の友情は脆い」「女は同性への情が薄い」etc...
男はみんなこう言う。だけどさ、考えてみるのに、女だって男と同じくらいの友情は持ってる。だけど、友人関係を維持していく余裕がなかなかない。
友人と一緒に夕食をとることはおろか、働いていれば昼食だって無理に近い。
私は今まで何度となく挨拶代わりの「今度ランチでも行こうよ」「お茶でもしようよ」等のお誘いを反古にしてきたことか。「時間は作れる、努力次第で。」そのとおりなんだけど・・・その努力をする余裕さえ、物理的にも精神的にも難しいことがあるのだ。それでも、勤めている友人は平日に休暇を取って仕事場へ会いに来てくれ、家にいる友人は「今から1時間、お茶できる!」の私からの携帯メールで駆けつけてくれる。恵まれているのだ。

先日、ジムで言葉を交わすようになった若い女性が、ご主人の転勤で県外へ引っ越すことになった。半年以上前から「ランチ行こう」と話していたのに、気がつけば引っ越した後。そんなちっぽけな約束すら叶えることなく別れてしまった。
この一件は結構ショックが大きかった。「仕事が、」「子どもが、」「家が、」と理由を付けて「忙しい、しんどい。」と言い訳している自分が情けなくて、「何とかなったんじゃないか」とため息を洩らしてみる。しょうもない女だなぁ・・・。
人に対して誠実でなくてはならないと思い返して、考えてみた。
大切な人に不義理をしていないか、いただいた気持ちに対してのお礼を忘れてはいないか、と。

私には広島市内に友人がいる。10年近くおつき合いのある7歳年上の友人だ。会って話をすることも、手紙のやりとりも、ここのところ途絶えている。彼女とは心の奥のコアな部分をさらけ出して話し込むので、最近いろいろと悩んで解決方法も見つからないままの私は、彼女に聞いてもらえる用意を持っていなかったという理由もあるのだが、それはこちらの都合、そういうのを「不義理」というのではないか。

私は、手紙を書き、別便で彼女の大好きなコーヒーを送った。
「送られたコーヒーが、初実さんからのシグナルだと思った。」彼女はそんなメールをくれ、応援してくれた。
それから、私の許には毎日彼女からハガキが届く。6月は私への応援月間なのだそうだ。友人というものはどれほど有り難い存在なのか、郵便受けを覗くたびに噛み締めている。

「the life goes on 〜 人生は続いて行く 〜」 彼女が文末に書いてくれた言葉。

私も、少しずつ気持ちを整理しながら、ようやく彼女に手紙を出すことができた。

人生は、続いて、行く。



年上の友人に導かれているなぁと、最近よく思います。
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ
ポ、ポチッと!

広島ブログも変わらずヨロシク
広島ブログ
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2010-06-14 12:38 | こう思っています
ミャンマー難民キャンプへ古着支援を
a0068930_112361.jpg今年も、タイのミャンマー難民キャンプへ古着を送るためにダンボール箱を用意した。

「ミャンマーへ」2008.6.6
「わかちあいプロジェクト」2009.2.18

今、ミャンマーは、ビルマ国軍が支配する軍事政権下にあり、弾圧され人権を侵害された住民はタイ政府から割り当てられた難民キャンプでタイ政府内務省の監視の下で生活している。そしてその生活は15年も続いており人数は約11万人に及ぶという。

私は、政治のことに明るいわけではない。ただ、子どもたちが寒さに震えて命すら落としてしまう状況を無くす手助けが出来るのなら、と思って子供服を箱に詰めている。古着が一着も行き渡らない子どもがいてはいけない、と思って子供服を探している。(古着の種類は、子供と大人の衣類{夏冬ものすべて、特に5歳以下の幼児、5歳から15歳の子供の衣服が必要})

私たちは、毎日ご飯を食べて、夜に眠り、次の朝が来ることを感謝しながら生きていかなければいけない。
好き嫌いを言い、オシャレをして、ショッピングを楽しむことを幸せだと感じなければいけない。

ミャンマー行きのダンボール箱、目標は7000箱。今夜もうひとつダンボールを探そう。

----------
今年の受付期間は6月1日(火)〜6月10日(木)(10日間、この期間に到着するようにお送りください)
ダンボール1箱につき送料募金(日本から現地までの費用)1,500円を郵便振替で送金します。
クレジットカードからも募金ができます。
衣替えなどで不要な服が出た方、いかがですか。
詳しくはコチラで↓

わかちあいプロジェクト
フェアトレード・難民支援・自立支援を支援の柱として活動しているNGO
http://www.wakachiai.com/wp/clothes/index.html


----------

1人に一着、間に合いますように。
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ
ポ、ポチッと!

広島ブログも変わらずヨロシク
広島ブログ
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2010-05-30 12:51 | こう思っています
私が、八ツ場ダム一連の騒動に思った、たったひとつのこと。
a0068930_11424046.jpg
ちょっとタイミングがズレた感もあるけど、それでもやっぱり書きたくて。

なんか、どうなんだろう。1200億円とか2600億円とか・・・想像も出来ないような金額が「意味のない(かもしれない)」ダムに遣われ、この先も工事を続けるなら、もひとつお金が掛かるという。
行っても地獄、戻っても地獄。みたいな状態・・・
どっちの政党が悪いとか、どの大臣が悪いとか、そういうのにもうんざりだ。
56年もの間、地元のためになると信じて立ち退いた人がどれだけいただろう、先の人生が変わった人だって少なくないはずだ。
いい加減にして欲しい。政治って何だろう。それだけの資金を投入する大仕事が、役に立つものかどうかも判らないのか、いやいや判っていても勧めちゃうだけの理由があるんでしょう。なんだそれ。

タイトルにした「私が、八ツ場ダム一連の騒動に思った、たったひとつのこと。」

それは、八ツ場ダムに関係した人には悪いけど、私の実家の立ち退きのことだ。
37年くらい前、私の父は家を建てた。もともと先祖のものだった土地を買い戻し、そこに家を建てた。私は6才だった。家を建てて2,3年して「家がバイパス道路に取られる」と聞いた。聞いたと言っても私は子どもで、そんなことを話している大人たちの話を聞いた。ということだけど。
その間、家を増築したり、修理したり、家に手を加えるときにはいつも「いつバイパスに取られるかもしれんのに」と家族でつぶやいていた。
10年くらい前、説明会が頻繁に行われるようになった頃、父は体を壊していて入退院を繰り返し、私が出席することも少なくなかった。
父は、「なんぼ“この家がええ”ゆうても国が決めたことじゃけん、もろうた金で今と一緒くらいの家が建ったらそれでええわ。」と言っていた。
バイパス工事の終点近くだった実家に金額を提示に来たのは、8年くらい前で国全体が「不景気」と言われ始めた頃だった。国土交通省の代理で市役所の担当者が家に来る。始めに提示された金額は声も出ないようなもので、「この金で土地を買い家を建て、引っ越し、今の家を転かして、更地にするのか。出来るはずがないじゃろう・・・」
工事が始まったのは、バブル全盛期だ。同じ工事でも始めに取りかかった地域には、土地の値段に相場の2倍近くが支払われたと聞いていた。「築20年以上の中古を買って住んでいたのに、いっぺんに長者になった。」という知人の話を複雑な思いで聞いていたことを思い出す。
そして、ウチの実家も余所様から「ようけもろうたんじゃろう?」「大儲けじゃね。」と言われだす。日ごろおつき合いのある人からの「妬み」を受けて、社交家の母も神経がずいぶんまいっていた。父は心労が重なり、思い悩み、眠れず、それから10日も経たないうちに突然息を引き取った。
新しい家はバリアフリーにしよう。「別荘地のようだ」とみんなが言ってくれる素晴らしい景色は見られなくても、やっぱり海は眺めたいね、お父ちゃん。
a0068930_12124560.jpg
↑実家から筆影山が見える。体調を崩してからの父は、部屋から双眼鏡でこの景色をよく眺めていた。
100年をとっくに越える大きな庭木が何本もあったけど、全部連れてはいけない。切った椿の切り株からは、何日も何日も止まらない涙のように水が溢れていた。
父が生前どうしても連れてきたいと願った、柊の老木だけを連れて行った。

金では到底まかなうことの出来ないものをみんな山ほど捨てて移るのだ。

墓参りに行くとき、必ず実家の跡を通る。
オレンジ色の金網で入口を塞がれ、その先に見えるのは土の塊と、雑草と、ショベルカー・・・何万回も昇って下りた階段のコンクリートの欠片さえ、もう無い。

後から判ったことだけど、初回の提示額というのは諸経費等の細かい計算が必要なものが入っておらず決定金額より幾分か少なめになっている。実際のところはもう少し多かったので、結局、土地の広さを以前の3分の2に減らしたり、立木の伐採と処分を親戚の男衆で行ったり、とにかくなんとか賄うことが出来た。

意味のない道路やダムのために退く人の気持ちは測り知ることが出来ない。

また、書かなければならないのは、立ち退く側の苦しみだけではない。国土交通省の代理として市の職員が交渉にあたっておられたが、父の葬儀には(おそらく)個人的においでくださり、契約の折りには数珠を持参され納骨前の父を参ってくださった。いろいろなところで立ち退き該当者に辛く当たられたことと思う。他に言って行くところがないのだ。大変な仕事だったに違いない。
その証拠に、実家の担当だった方はひどい発作で入院したと聞いた。

望むのは、ただただ望むのは、、

利用する人が「この道路が出来て、本当に便利になった。」と思ってくれること。

それ以外、救われない。

※かなり感情的になって書いています。後日、加筆修正するかもしれません。ごめんなさい。

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ
ポ、ポチッと!

広島ブログも変わらずヨロシク
広島ブログ
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2010-01-10 22:42 | こう思っています
ひこにゃん、じゃないのぉ!?
a0068930_13454938.jpg
「今回は、お土産ひこにゃんにしたけぇね」
帰省した滋賀県在住の妹が言った。
「ありがと、ありがと。ひこにゃん、かわいいけぇねぇ。」
包装紙の猫に微笑みかける。

が、残念ながらこれは「ひこにゃん」ではない。
これは、「ひこにゃん」と同じ作者が作った「ひこねのよいにゃんこ」というキャラクターだ。

2009年7月28日の新聞に、彦根市は、「ひこねのよいにゃんこは、市が著作権と商標権を持つひこにゃんと酷似しており、市の著作権及び商標権を違法に侵害する」ということで販売中止を求める文書を出したと載っていた。
この一件、同じデザイナーとして事実を把握し、じぶんなりの考えを確立しておかなければならないと強く感じたので調べてみた。

 07年に開催された彦根城築城400年祭のキャラクターを彦根市などでつくる400年祭実行委員会が公募し、大阪のキャラクター作家・もへろん氏の作品「かぶとねこ」に決定した。キャラクターに決定後、実行委が著作権を買い取った。その後ネーミングも公募し、「ひこにゃん」に決定。彦根市が図柄とともに商標登録した。
 その後、原作者が考案した「すわる」「はねる」「刀を抜く」の3ポーズ以外の図柄が出回ったり、好物を「カニ、お箸で切れるお肉」などと最初に設定のない正確付けをしたことで、 07年11月、著作人格権を根拠に原作者が400年祭後のキャラの使用中止を求め民事調停を申し立てた。結局、市側が3ポーズ以外の使用を業者に認めないことや、原作者がひこにゃん登場後に出版した絵本「ひこねのよいにゃんこ」の創作活動を続けることなどで合意した。

過去に↑こんな騒動のあった後の、その後の騒動なのね。

私は思う。「ひこにゃん」が可哀相・・・

こっから先は、同じような仕事をしている私が個人的に思うことを書こうと思う。ネットで調べてみると、私とは正反対の違う意見の方も多数見られるけど気にしない。
反対派の人がいたら、「あ、こう思う人もいる訳ね」って感じで読み流してください。


最近のロゴやキャラクター公募の資格を見ると『プロ・アマ問わず』って結構ある。応募作品のクォリティを上げるのが目的だと思うけどプロの応募作が採用された場合主催者側に「賞金=キャラクター制作費」くらいの認識だと揉めるもとだ。
たとえばこの件でいうと、私はどちらかというと「もへろんって、ずるいなぁ」側だけど、公募主催者の400年祭実行委や商標登録した市にも落ち度があると考えている。

彦根市がひこにゃんの著作権を得た後、ひこにゃんの図柄を使いたい業者などに、規制も著作権料の請求もせず、自由に無制限に使用させたことで、とんでもないひこにゃんなんかが出てきた。たとえばメガネをかけたひこにゃんとか、なんちゃってひこにゃんみたいに完成度の低〜いひこにゃんとか・・・。
著作権を持ってひこにゃんを扱うんだから、彦根市は著作権所有者として「こういう商品にこういう図柄のひこにゃんを使いたい」っていう届け出を事前にさせるのはもちろんのこと、「これで商品にしていいですか」っていう最終のサンプルを確認するべきだった。ましてや公のキャラクターなのに。
そういう杜撰な管理をしていたから、もへろんに著作人格権なんか持ち出されて、いいようにされちゃうんじゃないの、と思っている。

著作人格権というのは、著作権が譲渡されても制作者に残る権利で、フツーの場合あまり持ち出されることはない。著作権を譲渡した後、作者としてのあり方を問われるような使い方をされた場合、作者自身を守るための最後の手段として手許に置いておくようなものだと、私は思っている。

もへろんはデザイン会社の社員で(っていってもお父さんの経営する会社だけど)、その会社が「ひこねのよいにゃんこ」商品をいっぱい作っている。私がもらったおみやげ物のお菓子などもそうだ。そして、もへろんの先の訴えによって、ひこにゃんのキャラクター商品は無いわけだから、購入者はひこにゃんと混同しているに違いない。
ひこにゃんのキャラは、別の公募で得た「ひこにゃん」という名前が有ってこそのキャラだ。もへろん氏が応募した時点で付けていた「かぶとねこ」では、こうはいかない。

これは、ずるい。結局儲けたかったのか、といわれても反論できないだろう。
もへろん氏、会社の社長のお父さん、格好悪すぎる。

私はグラフィックデザイン関連の公募に一度も応募したことがない。また、今後するつもりもない。それは、「私の作ったものは「商品」であって決して「作品」ではない」という持論で仕事をしているからだ。いろんな考え方があるが、お金をいただいて仕事をしていながら、一方で無償提供するのはクライアントに失礼だと私は思っている。もちろん私のやり方だから他があってもいい。公募は一般的に、表舞台に出るものが多いから、「あれを作った人に、これを作ってもらった」という満足をクライアントに与えることも出来、それはクライアントにとっても利益になるだろう。自分の手がけた仕事はもちろん愛しい。でもクライアントからお金をいただいてお渡しした時点で最早私のものではないのだ。著作権を放棄してはいないが、そういう問題ではない。
もし、私が公募に応募して採用されたとしたら、私は「その作品を著作権ごと差し上げて、ご褒美(もしくは謝礼)として賞金をいただいた」と思うに違いない。
公募は仕事ではないから賞金は代金ではないし、作品を売ったわけでもない。
そして、賞金というご褒美の他に「あの○○を作ったデザイナー」というバリューも付いてきて、名前も売れ、その類の仕事が増えるかもしれないじゃないか。
実際もへろん氏は「ひこにゃん」後、いくつかのキャラクターを制作している。決して完成度が高いとは思わないが、「ゆるキャラ」ばやりで狙ったのかもしれないからそれは言わないにしても、きっちり仕事にしているわけだ。

「ひこにゃん」は、もへろん氏の訴えにより3ポーズしか使えない。キャラクター商品の販売に関しても難しいのかもしれない。
その上、市の訴えによって「ひこねのよいにゃんこ」も販売できなくなるだろう。

「ひこにゃん」は泣いているだろう。作者が泣かしたのだ。情けない限りである。

復活記念に「福山市のブログランキング」に登録しました。励みにしたいので応援お願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ
ポ、ポチッと!

広島ブログも変わらずヨロシク
広島ブログ
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2009-10-29 13:35 | こう思っています
た・だ・い・ま
a0068930_15571260.jpgこっそ〜っとブログに帰ってきました、ただいま。
なんか、ブログを書かなくなってずいぶん経つけど、
ちゃんと見てみると1ヶ月以上も放っていたんだ。
こんなブログでも、その間に訪れてくださった方にはご心配をお掛けしてすみませんでした。
松浦、帰って来ました。

ブログを綴る心の余裕が無かった、訳です。
涙が出たり、怒ったり、悲しかったり、嘆いたり・・・
がっかりしたり、痛かったり、諦めたり・・・
明日が来るのが怖かったり・・・

もちろん、時には笑うこともあったし、楽しいことも。

ただ、いいことがあったときだけブログを書くことへの抵抗があったのと、
それを考えることがものすごい負担になって私を襲ってきたことが、書けなくなった理由。

一生懸命、毎日生きてました。

ブログに綴りたい、と思う出来事がだんだん増えてきて・・・

ボチボチですが、書いていきます。
この2ヶ月間の楽しい出来事も含めて、少しずつ書いていきます。

また、寄ってってください。

復活記念に「福山市のブログランキング」に登録しました。励みにしたいので応援お願いします。
にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 福山情報へ
ポ、ポチッと!

広島ブログも変わらずヨロシク
広島ブログ
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2009-10-22 15:57 | こう思っています
仁義
a0068930_1405854.jpgつねづね思っていたことがある。
うちの実家では、「仁義」という単語がよく使われることだ。そして、他で「仁義」という言葉をあまり耳にしない。
例えば、私が頂き物をものすごいたくさんもらい、それを実家にお裾分けに行くとする。食べきれない量の野菜だったら母もご近所や友人に少しずつ分けて食べてもらうことだろう。
その時!まさにその時だ!
「ありがとね〜この前は。○○さんに食べてもろうたんよぉ、○○さんには釣った魚をもらっとったけぇ仁義が立ったわぁ。」母はそう言うだろう。
「仁義ができる」「仁義がきれる」「仁義が通る」etc・・・実家内ではあまりにもポピュラーな単語である。父が生きていた頃は、もうひとつ輪を掛けて使われていた、そんな「仁義」。
広島・・・だからなのか?「わしら、広島じゃけん。」だからか?

でも、もともと「仁義」って、「道徳上守るべき筋道」「 他人に対して欠かせない礼儀上の務め。義理」だから、母の使い方は合っている。ちなみに「おひかえなすって」は「辞宜」。
こうやって考えてみれば、「仁義、仁義」とスーパーの空き袋やタッパーに何かしら入れては人に差し出す母は義理堅い人なのだ。本家の嫁という立場が母をそう育てたのかもしれない。
そうそう出来ることではないと思うと、まあやはり、頭が下がる。
「お母ちゃん、なんにも考えてないヶ、へへへ」と笑うばかりだが、最近はそういう母の生きてきた道に教えられてばかりだ。

母として嫁として、妻として、行き詰まることがあればスーパーの袋をたたもう。
「仁義ある」母のために。

母への道は、険しい。
広島ブログ
[PR]
by matsuura-hatsumi | 2009-05-11 13:37 | こう思っています



(有)松浦デザイン事務所広島県福山市曙町5-4-29
by おはつ
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
全体
事務所へようこそ
仕事場にて
日々のできごと
行って来ました
こう思っています
ひと
プロフィール

映画
音楽
法律を勉強中
母として考える
モノと私
美味しいもの
手づくり
家族
好き
着物と和生活
たちまちケータイから
未分類
タグ
(196)
(133)
(72)
(58)
(57)
(40)
(35)
(34)
(32)
(32)
(30)
(28)
(24)
(24)
(21)
(19)
(13)
(13)
(12)
(11)
mail:info@cox10.com
http://www.cox10.com
松浦初実 プロフィール
je-pu-pu 無料カウンタ

Facebookは随時更新しています。ぜひ、お立ち寄りください。

ランキングに参加しています。クリックをよろしくね↓広島ブログ
広島関係のブログを集めたブログ紹介サイトです。

--------------------
● 初めまして松浦初実です。
私のことが見えやすい記事を抜き出してみました。
仕事場ははこんな感じ。
「玄関あけたら・・・」
41歳で二人目の母に。
生まれました!
私のイカシた相棒。
新しい彼は・・・
40以降のKIKKAWAが好き。
燃やせ、パッション
いつも気持ちは卓球少女。
シューズさえあれば
ぜひ、ヒロシマに。
明日の神話
今、法律を勉強しています。
「便所の中でも…」
--------------------
最新の記事
風も吹くなり 雲も光るなり
at 2016-06-16 18:16
ポジャギ、始めます。
at 2016-06-14 10:23
2016年3月15日、かさこ..
at 2016-03-22 12:17
ただいま。
at 2016-03-19 14:07
私を作った、いくつかのモノ。
at 2012-04-20 08:38
記事ランキング
以前の記事
2016年 06月
2016年 03月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
more...
最新のコメント
片想い様初めまして! ..
by おはつ at 15:11
はじめまして 三原の写..
by 片想い at 23:14
鍵コメ様 長いことブロ..
by matsuura-hatsumi at 16:01
ご無沙汰しております。 ..
by いりこ at 08:27
そうそう、私も幼稚園の頃..
by じゅんちゃん at 12:18
「自己中」という怪物が何..
by じゅんちゃん at 17:37
イイネ! よらんし..
by じゅんちゃん at 10:23
改めましておめでとうござ..
by じゅんちゃん at 21:19
乙女ちっくでいいと思いま..
by じゅんちゃん at 10:27
お姉ちゃん、ご卒業おめで..
by じゅんちゃん at 10:21
検索
画像一覧
ライフログ
映画なら
音楽って
私の10冊
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル